- 1 : 2025/08/11(月) 06:31:25.46 ID:Bj5gXPAT9
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Bobby Whitlock, Derek and the Dominos Keyboardist and Co-Founder, Dead at 77
August 10, 2025 Rolling Stone
(※ AI翻訳。AIによる翻訳は正確性を欠く可能性があります。記事本文と併せてご確認ください。)
https://www.rollingstone.com/music/music-news/bobby-whitlock-derek-and-the-dominos-keyboardist-dead-obit-1235404691/■メンフィス出身でスタックス・レコードで腕を磨いたミュージシャン/シンガー、ジョージ・ハリスン『All Things Must Pass』やエリック・クラプトンの1970年セルフタイトル・アルバムにも参加
エリック・クラプトンの短命ながら高く評価されたバンド、デレク・アンド・ザ・ドミノスのキーボード奏者ボビー・ウィットロックが77歳で死去した。
ウィットロックの訃報は、マネージャーのキャロル・ケイがABCオーディオへの声明で明らかにしたもので、「深い悲しみとともに、ボビー・ウィットロックの家族は、彼が短い闘病の末、8月10日午前1時20分に亡くなったことをお知らせします。彼はテキサスの自宅で家族に囲まれて旅立ちました」と述べている。
メンフィス生まれのウィットロックは、1960年代半ばに地元のスタックス・レコードでキャリアをスタートし、同レーベル初の白人アーティストとして契約。ブッカー・T&ザ・MGズやサム&デイヴらと共にレコーディングを行った。
1960年代後半、ウィットロックは夫婦デュオのデラニー&ボニー・ブラムレットと、その周囲に集まった才能豊かなミュージシャンたちによる「Delaney & Bonnie and Friends」に参加。この「Friends」の中には、クリーム解散後のエリック・クラプトン、ギタリストのデュアン・オールマン、ベーシストのカール・レイドル、ドラマーのジム・ゴードンらがいた。やがてこの4人とウィットロックが集まり、デレク・アンド・ザ・ドミノスを結成することになる。
ウィットロックは、クラプトンの1970年のセルフタイトル・デビューアルバムにも参加しており、デレク・アンド・ザ・ドミノスの1970年のスタジオアルバム『Layla and Other Assorted Love Songs』収録曲の半数を共作。「Bell Bottom Blues」「Anyday」「Why Does Love Got to Be So Sad?」やオープニング曲「I Looked Away」といったクラシック・ロックの名曲を生み出した。
また、バンドの代表曲「Layla」ではピアノパートを担当。曲の第2部の作者としてリタ・クーリッジにクレジットを与えるべきだと長年主張してきた。当時、彼女と交際していたジム・ゴードンが「Layla」の共作者としてクレジットされていた。
『Layla and Other Assorted Love Songs』は後に「ローリング・ストーン誌の選ぶ史上最も偉大なアルバム500」に選出されたが、発売当初は商業的には成功せず。1971年にデュアン・オールマンが死去し、さらにクラプトンが薬物依存に陥ったことで、デレク・アンド・ザ・ドミノスは2作目のレコーディング途中で解散した。
ロンドンでの不発に終わった2作目のレコーディング期間中、ウィットロックは自身のセルフタイトル・デビューアルバムも制作。この作品にはデレク・アンド・ザ・ドミノスのメンバーに加え、ジョージ・ハリスンも参加していた。ウィットロックは以前にもハリスンの1970年の傑作『All Things Must Pass』でオルガンやピアノを担当し、「My Sweet Lord」「What Is Life」「All Things Must Pass」のほか、レコード1面分の「Apple Jam」にも参加している。
(また、ローリング・ストーンズの『Exile on Main St.』にもクレジットなしで参加しており、後にこのアルバム収録曲「I Just Want to See His Face」はミック・ジャガーやキース・リチャーズではなく、自分とミック・テイラーが共作したと主張している。)1972年の2作目『Raw Velvet』にもクラプトンとハリスンが参加。ウィットロックはさらに2枚のソロLPをリリースしたが、70年代末までに音楽業界からほぼ身を引いた。しかし2000年前後には活動を再開し、妻でミュージシャンのココ・カーメルと共に録音を行うことも多かった。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
●Derek and the Dominos – Anyday
https://www.youtube.com/watch?v=QrWK5XWuGpk - 3 : 2025/08/11(月) 06:34:30.57 ID:oDGvSmqs0
- サラ・コナークロニクルかと思った
- 4 : 2025/08/11(月) 06:37:27.86 ID:M9uqKeIV0
- リーダーのデレクはまだ生きてるの?
- 8 : 2025/08/11(月) 06:43:25.49 ID:n8vuGYH70
- 「庭の木」が好きだ。ザ・バンドのリチャードマニュエルに似た音楽性、ボーカルスタイルだと思う。
- 9 : 2025/08/11(月) 06:45:55.75 ID:GCFGKm790
- デレク・ジーターしか知らんわ
- 11 : 2025/08/11(月) 06:57:48.31 ID:R+/lbW8h0
- レイラのピアノパート大好き
- 16 : 2025/08/11(月) 07:06:16.05 ID:FjgZmTgm0
- >>11
ROCK好きにはベタなので知らないのはさすがにいないはず。
一般でもイントロのサビを聴けば認知はあるが、後半のピアノパートの
部分になると知らないのが多い。 - 13 : 2025/08/11(月) 07:04:59.64 ID:zuZRmdsy0
- ライブ盤はギターよりも彼のキーボードが光る
- 14 : 2025/08/11(月) 07:05:27.80 ID:Bcix+Xbs0
- 真っ先に死にそうなのが何で元気なんだ
鼻の骨なんて恐らく溶けてるだろ - 17 : 2025/08/11(月) 07:08:04.35 ID:uaO0ZImN0
- レイラのカッコいいピアノのひとかな
- 18 : 2025/08/11(月) 07:11:11.98 ID:FjgZmTgm0
- 75年のソロアルバムに収録された”Movin’ On”は格好イイROCKナンバー。
渋いヴォーカルがいい味出している。 - 19 : 2025/08/11(月) 07:15:41.11 ID:HMRnXTvW0
- クラプトンがクリームのインプロ中心の音楽に嫌気差してこういうサザンロックに転向したんだっけか
- 20 : 2025/08/11(月) 07:19:20.57 ID:txX+5yJE0
- こんなに有名なヒット曲ありながら
デレクって誰だよとしか思われない - 21 : 2025/08/11(月) 07:31:31.62 ID:OMSqB8LM0
- デレク←デレック←エリック(クラプトン)
デレクisエリックってタイトルでブート盤あったな
- 22 : 2025/08/11(月) 07:33:09.46 ID:n8vuGYH70
- クラプトンにとってこのバンドが徒花の如く短命に終わったことが結果として傑作「461oceanboulevard」を生みソロとしてスーパースターに成長するステップに成っている。また虎の子の2枚組「いとしのレイラ」は音は悪いがジョージハリスンとのエピソードと相まってキャリア上最重要な傑作となっている。
- 23 : 2025/08/11(月) 07:33:53.71 ID:PrWCOYi90
- レイラ~怒ってオ●ニー
レイラ~ふざけてオ●ニー - 26 : 2025/08/11(月) 08:02:11.05 ID:EbN1hYWg0
- ロイヤルズのショートの親戚かなんか?
- 27 : 2025/08/11(月) 08:08:33.55 ID:Hj+Ajv/G0
- ドミノスのライブが好き。この人のエモいバックコーラスがいい。
- 28 : 2025/08/11(月) 08:09:42.20 ID:k78NwYLn0
- マジで誰やねんwww
- 29 : 2025/08/11(月) 08:10:15.89 ID:UfMDJeyR0
- あれ?デレクトラックスバンドのキーボードって何年か前に亡くなったよな、とヘンな勘違いをした
頭が濁ってきている
【訃報】デレク・アンド・ザ・ドミノス共同創設者でキーボード奏者のボビー・ウィットロック死去 享年77
芸スポ

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